2015/01/10

「つくる」こと。今に続くこと。




















2年前の1/9に作ったネックレス写真が、

Facebookの最近追加された機能で
あがってきました。

これをつくった時にわたしは

「これ、良くなる予感」的なコメントを
一緒にアップしていたのですが、

その後は
中々イメージが固まらずに、

作れないまま放置してありました。

 *

でも、
わたしの場合。

その「放置」というのは、

「作り続けている」
ということに同義なんだなあ…と思います。

 *

昨年末に、

お客さまでもあるソウルシンガー
福原美穂ちゃんのライブへ伺った後、

彼女の歌った
「CHANGE」がすごく良かったので、

気持ちをカタチにしておこうと思いました。

感銘を受けて作ったアクセサリーが、

写真にある2年前の作品の、
延長線上にあるものでした。

 *





















ファーストインプレッションで、
ざっと繋いだもの。






















アクセサリーとして使うための
長さを調整するために考えているところで





















ビーズを足してみたのだけど、

このアイデアは、
素直な感情との不一致で却下。

もっとぎゅっと気持ちが集まっている感じなのに、

これだと薄め過ぎて
ぼんやりしている感じでした。






















日本の小ビーズは、

フランス人作家さんがわざわざ買い付けにくる位、
世界の中でも精度の高いガラスビーズ。

わたしの中では、
自分らしい素材のひとつなので、

それと組み合わせてみたら
割と気持ちにしっくりきたので、

途中経過で写真を撮っててみたところ。

商品にするならこの位で十分売れるし
アクセサリーとしては使えるよね…と思いつつ。

でも作品としては

わたしの気持ちは表現し切れていないな…と
感じているタイミング。

 *

そうやって2年越しで仕上がったのが、
新年にもアップしていたネックレスです。

(完成したものは、1番下に写真があります)

 *

アクセサリーも、
細部の処理が大切。

クオリティのキープには、
細部の処理が

ものすごく判りやすく響くモノづくりだな…と
思っています。

 *

大尊敬している
清水ヨウコ先生(デトロワのデザイナー)が

昔あんまり好きじゃないと
お話しされていたパーツは、

わたしには美しく観えているので、
敢えてそれを使ってみたりもします。

こういう小さなこだわりも、
誰かとの違いを顕著にします。

 *

ただ、わたしは

先生のおっしゃっている
「洗練」にはすごく近づきたいし、

すごく共感しているので、

いつでもチャレンジしていたい
とも思っています。

 *

先生のようには絶対になれない。

それはもう

モノづくりを長くしていると
当り前のように思うことなのですが。

でも、
彼女の「モノづくりの姿勢」に近づきたい。

 *

先生が毎年何らかのカタチで作られる
「作品」に触れると、

彼女が今もご自身と向き合って、
何か見出だそうとなさっているのを感じるし、

そういう在り方の中で、
お仕事としてモノづくりをされているというのは、

生半可なことじゃないなあと思っています。

ああ、この人は
本当にクリエイターさんなのだなあ…。

ということを強く感じる時間です。

それとお商売を一致させことの出来るセンスは、
本当にものすごいことだと思っています。

 *

少し話はそれますが、

わたしは
10歳から始まった心理学的なアプローチの他、

2005年からの流れの中で、

ヒーリングということについて
ずっと考え続けてきたように思います。

 *

簡単に言うと、
ヒーリングというのは、

「その人らしさ」の
受容なんだろうな…。

と思っているところがあります。

 *

それは、

時に人の成長を止めてしまう言葉に
聴こえる可能性もあったりして、

扱いが難しいこともあるのだけど、

「あなたはそうなのね、それもいいね」
ということが受容の本質かなあ?…と。

わたしにもハッキリした「これ!」は
ないのだけれど(笑)。

それを斜に構えて

「じゃ、好きにすれば〜?」のように
突き放すのではなくて、

抱きしめるように、

「ああ、

わたしはそう思ったことなかったけど、
それもいいね」

と言えるような。

そういう感覚のこと…?

 *

ART という
モノづくりの世界には正解がなくて、

常にそういう「受容」が存在しているのです。

 *

音楽もそうかなって思います。
楽譜はあるけれど、

ある領域においては、

わたしにとってのフォルテッシモとピアノ、は
あなたのそれとは違っていい。

 *

そういう世界を自分の中に持つことって
すごくいいと思うのですよね。

 *

外側に沢山の答えがある現代において、

「自分自身の今の感覚」を見つけるのは
意外と難しくなっているんだなあと感じてきました。

例えば、
10種類のビーズを用意して

「気持ちにしっくりするように自由に通してみて!」

と10人でやったら
10人違う筈なのですよね(笑)。

自由度が高過ぎると
きっとわたしにはセンスがないから…

みたいな引っ込み思案さんが
生まれてしまうと思うけれど、

ベースの素材が
美しいものにセレクトされていると、

それ以下にはなりにくいので、

誰にでも
一定以上の美しいものは仕上がります。

それなら安心して取り組める筈ですし、

その時に出来たものをみたら、
どれもすごく面白い筈なのです。

そういう体験するのだって、
きっとヒーリングなのだと思います。

 *

わたしは
そういうことも含めて、

つくることをやってきた
と思うことがあります。

 *

2年前の昨日作ったものと、
先月の12/6に作ったものを観て、

まだイマイチだと思っていた作品の続きを
諦めていなかった自分の確認と、

上手くなっている…と
感じられることを含めての自己成長、

(5年位前は作っても作っても
全部ダメにしか観えていませんでした。

そこに肯定感が出てくるのは
目が育っていることも含めて成長だと思うのです)

 *

それこそわたしにだって
今のように売場に出させていただく前の、

箸にも棒にも引っかからないような
しょーもない時期はあります。

初めてつくったひとつ目からが

吉祥寺と三軒茶屋の小さなお店に並んだのも
売れていったのも事実ですが、

それはゼロ1個、

つくったもののお値段が
違った頃の話なのです(笑)。

 *

ビーズバランスの
藤永先生からテクニックを教わった直後は、

出来るようになったメガネ留めなど、
新しいテクニックで作品が作れるようになりたくて、

とにかく作れるだけ作りました(笑)。

その当時の作品は、
自分の中ではどれもちっともよく見えなくて、

毎回へこみました。

 *

それでも写真を撮って
表に出す勇気だけは持っていよう、

途中で止めずに完成はさせて、

今まだ大したことはなくて
ダメだということを

ちゃんと表現しておこうとは思っていました。

 *

当時からわたしは
「洗練」を目指していたのだけれども、

ライターのお友達に
当時テキストチェックをお願いしたら

「洗練」の言葉は外されたりして(笑)、

悔しかったけれど、
ああ…まだ至っていないのだなと思ったり。

色々ありました(笑)。

 *

でもこうやって2年後の今。

ちょっとは表現出来るようになったな
と思えるのは、

幸せなことだなと思います。

 *

まだ余りにも不安定で、
お客さまのためにクリスタルを触るのは難しのだけど、

その間には、

自己表現(セルフヒーリング)のために
クリスタルを使ってみようと思っています。

こうやって作品を観ていると、

クリスタル個々の意味を越えたエネルギーというのも、
あるな…って感じます。



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