2015/01/11

感情を手放す2つの方法?




















酷いことを

「言われた」のか、
「された」のか。

その記憶の違いって
結構大きなことかも知れないなあ…と

最近感じています。

 *

意識として「酷い」と感じているのか
身体として「酷い」と感じているのかによって

残る感触が
全然違うんだなー…ということを思います。

ということは?

リリースする方法は
違うのではないかな?

と興味がわいてきます(笑)。

 *

前者は、
瞑想的な事で。

後者は、
スポーツ的な事で解消出来るのでは?

というのが
今日のおしゃべりです(笑)!

 *

わたしは非常に「意識優位」で、

身体の声が殆ど何にも聴こえない状態が
何十年も続いていました。

集中していると
ご飯も忘れちゃうし、

お腹が空いているかどうかさえも解らなくなるし、
眠ることでさえ忘れるし。

それで身体の限界になると

意識が飛ぶように
床で倒れて眠っていたりしました。

 *

更には

当時のBF が深夜に帰ってきて
テレビをつけたりと、

人を必ず起こすようなことを
平気でする人だったので、

ここはちょっと
人のせいにしちゃうけど(笑)

睡眠サイクルがめちゃくちゃになり、
心身のバランスは崩れる一方でした。

身体感覚を感じていたら
日々をやり切れなかったのかもしれません。

殆ど、なくなっていたな…と思います。

 *

対して、

「身体優位な人」とわたしが言うのは、

どんなに何かをやっていても
ご飯を忘れないタイプの人、

だと思ってもらっていいです(笑)。

(本当はもっと細やかな定義があるのですが、
ここでは大ざっぱに言うことにします!)

 *

意識として酷いなって思うことは、

別の言葉にすると
傷ついたな、みたいなことしょうか?

許せないなって思っちゃうとか、
頭に血が上るような感覚のもの。

精神的なダメージの強いもの、みたいなこと。

こういうのって「瞑想的なこと」で
解消がしやすいなと思います。

 *

自分が安心してくつろげる場所で、

姿勢を正して、
深くゆっくり呼吸をして、

外側からの刺激を一切意図的になくして、
内面を見つめていく作業。

この手の静かな時間は
脳のリフレッシュにもなりますし、

数年前から、

外資系企業の中で取り入れられた話なども
チラホラありましたよね!

 *

どうしてそんなに傷つくのかな?
傷ついたのかな?

みたいに、

ただただ
静かに自分へ問いかけて、

出てくる気持ちを
そっと抱きしめていくような作業です。

そうだったんだ。
そうだったんだね。

それは辛かったね。

と自分の気持ちを
受け止めていくだけの時間。

受け止めて、
心に残っていたつっかえを感じ切って、

受け流していくだけの時間です。

 *

経験的には
こういう想いにはパターンがあって(笑)、

自分が大切にしていた

人や関係性、
モノや事に対し、

何らかの弊害が生じた時、

「酷いな…」という気持ちが
発生しているなあと思います。

大概そうです(笑)。

そう思うとシンプルですから、

見つめるのを恐れる必要はない
と言えるかもしれません♪

 *

原因となる
核なるものが観えたら、

「今はどうしたいのかな?」
とか、

「これからどうしたいかな?」
とか、

そうやって
今に気持ちを持ち直して、

過去を整理していく事にしています。

 *

わたしは一人でお茶を飲んだり、

「なんでこんなに引きずっているんだろうな?」
と思ったら

気持ちを書き出してみたり、
日記を読み返したりもして、

この瞑想的な時間を過ごしています。

後は、

自然の中に行ったり、
植物に触れたり、

意識が日常感覚から
少し「心理的に離せる場」を設定します。

 *

お風呂でぼーっと考えることも多いです。
お風呂はいいですよ♪

血流が適度に上がっていると、

身体がリラックスしているので
感情にも触れやすく、

水の作用もあるのか、流しやすい。

 *

一人になる時間が必要なので、
そこで自分の気持ちに風通しを良くして、

何でそんなに引きずるんだろうね?

みたいに、
ふわっと問いかけてみる。

もしくは、

そこに発現した「問題に感じる部分」を
ひたすらぎゅーっと見つめてみる。

どうして自分はこうなっちゃうんだろう!
みたいな葛藤とかですね(笑)。

そうやって
解決するとかしないとかではなくて、

逃げずに立ち止まって
腹を据えて

自分の意識にあるものと対峙し続けていると、

ある時に
元々持っていた緊張感に変化が出来て、

ああ、なんだ…。
みたいに抜け出す事もあるし。

これは今
これ以上考えても答えは出そうにないな、

もうちょっと時間に任せようみたいに、

少し問題そのものとの距離が
取れるようになったりします。

人って本当に不思議で(笑)
睡眠と食事が一定にルーチン出来ていると、

回復しようしようと
心身が自然とがんばってくれるようになっていて、

「時間に任せる」
という謎の技が繰り出せたりもします(笑)。

 *

さて、では
身体的な「酷いな」の対処はどうするのか?

これはまだ仮説ですが、
やり始めてみています。

 *

わたしは最近、
身体意識があがってきていて、

お腹が空いたり眠くなったり

寒いとか暑いとか、
痛いとか気持ちいいとか、

身体の声が
やたら聴こえやすくなってきました。

それに従って、
ちょっと今までとは違う感覚が出てきています。

 *

過去の「酷い!」で、

どうしても昇華出来ない事というのは、

「身体が恐怖感を持って記憶しているもの」
ということも解ってきました。

 *

この「身体記憶」というのは
わたしには相当やっかいなものです。

震えが出て止まらなくなったり、

瞑想的なことでは、
まったくケアがしにくいことが解ってきて。

これはどうしたらいいんだろうな…?と

ここしばらく
結構本気で悩んでいました。

 *

身体意識が恐怖に感じている事は、

きちんと数えるとかれこれ10年以上、
どうしても消えていないことが解りました。

わたしは自分が
その傷を持っていた事で、

他人に
嫌な想いをさせたんだろうな…と感じ、

それにも重ねて傷ついてしまったことがあります。

だから解消したいなあ
軽減したいなあ、と

切に願ってしまうです。

 *

「これ本当に難題だなあ、どうしようかなー」
と思っていたところに、

スポーツが出てきたのは
自分としては面白い発見です(笑)。

 *

偶然にも

身体が「走りたい…!」という
衝動を訴えかけてくる事が

この数ヶ月に増えてきていたのです。

1度思いっきり走ってみたら、
すぐ膝が痛くなって止めたものの、

キラキラして楽しくて、
うれしくって、

わー!これ楽しい!

と感じ。

その後に
ものすごくスッキリして、

「あれ?なんだろうこれ?」と思ったのです。

 *

フラメンコを始めた時に感じた
不要なエネルギーがアースする感覚も含めて、

身体の受けた
傷つきみたいなものって、

身体を鍛える事で
解消するんじゃないのかな?

という仮説が出来てきたのです(笑)。

 *

そういえば、

入院中は放っておくと
体力がものすごい勢いで落ちていくのを

最初の入院で体験して懲りていた事もあって、

毎日40分以上を
2セットは歩くようにしていました。

外出許可がおりるまでは、
病院の廊下を歩いていたんですよね(笑)!

この時は、

お友達とおしゃべりしながらだったり、
本を読みながら歩いていたのですが、

それと多少のストレッチをするだけでも、
あくまで比較的、とはいえ

心が安定的に保たれていたところはありました。

特にお友達に聴いてもらいながら、
歩くのは最高でした(笑)。


カウンセリング+運動
=おしゃべりしながら一緒に散歩。


っていうのは王道かもしれません(笑)。

無意識にやっていたのですが、

「あれってもっと使えるのかも?」
ということは思ったのです。

 *

感情を手放すっていうと

もしかしたら
ご大層な事に感じるかも知れないけれど、

要はストレス発散をどうするか?
ということでもあると思います。

歌うとか、
踊るとか、
走るとか、

身体の大きな動きの中にも
ヒーリング要素ってあるなあ…と。

 *

3〜4年前に、
お友達とおしゃべりをしていて、

ヒーリング業界の競合は
セルフスポーツになると思う。

みたいなことをわたしは言っていました。

それは当時
周囲の経営者仲間の中で急激に、

マラソンや
トライアスロンが流行り始めていて、

彼ら彼女らの職種を観ると
頭脳労働だったことがあります。

 *

もっと前にも、

数年いた当時
リクルートの子会社の社長さんと

「フラガール」という映画を観に行って、

帰りに
お茶をした事があって。

その時にも、

過度の情報化社会における
心身の歪みを取り戻すのには

古典回帰する事って出てきますよね?
なんて話をしていて。

振り子が大きく振られるように、

脳化が進めば、
反動で身体も動く必然性が出てくるよね!

という話もしていました。

脳が速度を増すにつれて、
身体がプリミティブな動きを求めてくるよね、

みたいな話だったのですが。

脳の緊張度を身体で受け止めるには、
身体も鍛えないとね、

ということでもあるなあ…と思います。

 *

改めてそのことを思うと。

鍛えられた身体があると、

身体が
意識を支えられるようになる筈なので、

リラックス出来る要素が増えるかもね、
と思います。

 *

意識の痛みを極端にリリース
(酷いな!の解消)していくと、

身体はリラックスしてきますが、

ここに
身体的強さがないとどうなるかというと、

わたしがまさにその状態なのですが…

めちゃめちゃ
打たれ弱くなるんです(笑)。

気を抜いちゃうと

ちょっとした動きで
身体に痣が本当にさくさく出来るし、

赤ちゃんみたいに
ふにゃふにゃになりやすくて

他人や
場の気を

極端に「受けやすい」。

これね、…相当、生きにくいです(笑)。

 *

お友達が
ピラティスを習っていて、

トレーナーさんから、

「今まではメンタルを
それだけで支えていたかも知れないけれど、

こうやって身体が出来てきたら、

身体が一緒に気持ちを支えるようになるから、
今までとは違うよ!」

と言ってもらったみたいな
おしゃべりも聴かせてもらった事がありますし。

ほぐすだけじゃなくて、
体力(筋力や心肺能力)がついてきたら、

確かに自分を支える要素が増えるから、
それ、いいよね?!

と思うのです。

 *

あれ?
ってことはもしかして?

身体を動かしながら、

深く傷ついた感情的なものを
リリース出来るって可能性があるのでは?

ということも思います。

 *

そのものを
直接的に解消する事が出来るかどうかは

解らないけれど。

発散は出来るだろうし、

身体が強くなる事で、
「今までとは違う自分」という再設定を

非常に
具体的なレベルで

しやすくなる可能性はある。

それって、いいかもね?と思うのです。

 *

わたしが数年間続けられたスポーツは

美術大学の
ゆるーいバドミントン部くらいですが(笑)。

ああいうスポーツは
基礎の反復練習が必要だなあと思っていて、

良く基本のステップと
ラケットの素振りはやっていました。

そういえば…と、

うっすらとながら
当時の身体記憶が呼び覚まされます。

息が少し上がってきて
汗が出てきて…

ちょっと
何かがホッとするような感覚。

…あったかもね?

みたいな記憶も
なきにしもあらず(笑)。

 *

瞑想的なことをして、
出てくる涙とともに、

それを「感じ切る」事によって
リリース出来るものもあるし、

スポーツ的なことをして、
出てくる汗とともに、

それを「体験する」事によって
リリース出来るものもありそうですよね!

 *

という訳で最近は、

「わー、走りたーい!」と思ったら

子どもみたいに
突然駆け出したりしています(笑)。

それによって、

過去の痛みに引きずられてダウンしていた心が
「現実に引き戻され」て、

身体が感じている
キラキラした世界を心も一緒に楽しんで、

笑顔になったりします。

 *

頭で難しく考えなくても、

その時に在るのは
「今、ここ」だけです(笑)。


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