2014/07/30

不在に感じるさみしさ




















1人で夜ご飯を食べながら
生まれて初めて、

「居なくて寂しい…」と涙が出てきました。

 *

ルームメイトとは
5月の中旬から一緒に暮らしているのですが、

あれから色んなことがあって
でも本当に毎日毎日話の尽きることもなく、

すごく楽しくしています。

わたしの訳の解らない話を
時折満面の笑みでニコニコ聴いてくれたり、

千切りやる〜!とかで
お手伝いをさせてもらったり、

さやかちゃん、それ上達してる〜!
とか言って もらったり、

ブラックチョコレートの
オレンジピール美味しいよね!とか

好きなお菓子の話で盛り上がったり、
些細なことが毎日本当に楽しくて。

 *

帰る途中で動けなくなったら
「迎えにいくわよ!」と来てくれたり、

落ち込んでいたら
話を聴いてくれたり、

わたしも聴かせてもらったり。

彼女が身体が痛くなった時は、
付き添って救急病院へ行ったり、

そこで該当する当直の先生が居なくて
診察が受けられる病院を探したり。

そういう助け合いとか。

 *

え、それってどうやってやるの?
あ、これってそういう制度なんだ?

みたいな経営がらみの話とか
教えてもらったり。

さやかちゃんえらいわー、
そうやってちゃんとやってるのね!

と言ってもらったり。

 *

そこにはいつも
「わたし」がちゃんと居る感じがします。

 *

今日彼女が出かける前に、
初めてご飯を作り置いてくれたのだけど、

食べていたら、美味しくて、
すごくさみしくて。

これがもう、
びっくりするくらいさみしくて。

食べながら泣けて来ちゃって。

こんなにさみしいのは
生まれた初めてだなと思ったのです。

 *

「美味しいね〜!」って

いつも言い合って
食べているのに、今日は1人で。

あさりのお味噌汁も美味しいし、
海藻とあえてある納豆も美味しいし、

牛肉とお野菜の炒め物も美味しいし。

美味しいって、
言い合えないのもさみしいし、

1人で食べているのもさみしいし。

やっぱりボロボロ泣けるのです。

 *

気がついたのは、

そうか、わたしはこれまで
さみしくなかったんだ。

つまり、さみしい状態だったんだ。

聴いてもらってなかったから、

居ても居なくても
そんなには違わなかったんだ。

だから…さみしくなかったんだ。

と。

そうだったんだ。
わたしはこの生活に比べたら、

さみしいのが当り前になっていて、
だから、何も感じなかったんだな。

1人が大丈夫なんじゃなくて、

こういう聴いてもらえたり、
一緒に何か笑いながらやったり、

そういうの知らなかったから。
さみしいって感じようがなかったんだな!

と。

 *

同時に多分それは
戦後の復興期に、

大変な幼少期を過ごした両親も、
それぞれ得られなかったものであるだろうなと。

だから出来なかったのだろうな、
だから知らなかったのかもしれないな?

とも思うのです。

 *

彼女は、
本当にすごい人で。

自分が結構しんどい状況に居ても、
笑うことを忘れないし、

さすがに経営者なので
心が鍛えてあって立ち上がりも早い。

出会った頃から、
年齢関係なく人としてつき合える人で。

わたしが相変わらず
めちゃくちゃ生意気でも笑っています。

わたしが作っていると、
こんな風に作るのねえ!

ああ、そこまでこだわって
やっていくのねえ!

そこまでの人はそんなに居ないんじゃない?
と感動してくれたり、

もしかしたら、
そういうのは家族に言ってもらったりするのが

パートナーや
親しいお友達に言ってもらったりするのが

当り前の人も居るんだと思うけれど、
わたしには全部初めてのことで。

 *

そういえば、
すっごく助けてくれたお友達も、

別に普通に誰にでもやることだからと
言っていたりして、

えええ?!!すごい!!!と
衝撃に思ったけれど、

そうかあ、
人によって普通ってこんなに違うんだなあ。

わたしにはこんなに特別なことなのに、

人によっては
当り前に出来ることなんだなあと。

 *

世の中には、
これが普通の人も居るのか。

ということ。

両親が愛情なしに
わたしを育てたとは思わないし、

フリーランサーの2人が
子ども2人を美術大学に行かせ、

不動産を持ち、
未来を設計して堅実にコツコツお金を貯めて

がんばっていたのも、
やりたいことをやらせてくれたのも、

全部解っていて。
大好きなんだけれど。

だから、

このままじゃ命がもう危ない、と
自分が限界を感じるギリギリまで

一緒に居たのだけれど。

 *

それでも、
もう無理だと。

これがもう限界だからと、
逃げ出して。

 *

一緒にお友達と暮らし始めて、

それはもう非常事態だから、
緊張もしていたし、

でも案外、
お互いそれなりに毎日笑っていて。

だんだん確実に元気になっていて。

たわいもない話から、
色々深い話から、

お洋服を貸してもらったり、

それを着て電車に乗ったら
優しくしてもらったりして、

「なんだこれは?!」みたいな
そういうびっくりがあったり。

「こんなことあって!」と言うと、
「良かったわね〜!」と笑顔が返って来たり。

「あら素敵じゃない!」だとか
「さやかちゃん元気になってわたしもうれしいわ!」

と笑ってくれていたり。

わあ、なんなんだろう、これは。

こういうの初めてだ!と思って。

 *

きっと彼女が
本当のお母さんだったら、

生まれた時からこうだから、

気がつけない
彼女の優しさとかもあるのだろうと思うし、

実母との比較をすることも
ないのだと思います。

アート教育や本質を観る目は、
確実に親譲りですし、

わたしのクリエイティブに関する殆どは、
あの厳しい両親の元でだから培われたと思います。

だからこそ、出来ることは沢山あります。

わたしはそういうのは
もうとっくに気がついていたし、

だから本当に感謝もしているし、

妹から

「わ!びっくりした!
姉ちゃんそんなに親のこと好きなんだ!死ぬなよ?」

と言われる位です。

 *

でもわたしは、
本当に「聴いて欲しい」子どもだったので。

 *

小学生の頃、
プールから帰って来たら結構な熱が出て、

ああ、優しくして欲しいなあ…と思って
そのまま座布団の上で眠ってしまったこと。

その後夕方目が覚めても
誰も居ないお部屋だった記憶が

今でも鮮明に在ることや…。

あの時の、
助けてもらえないんだなという妙な納得感や。

いつもいつも実家なのに
「お家に帰りたい」と思っていたことや。

そしてそれが
自分で中古マンションを買っても、

気持ちの中ではずっと、家へ帰りたくて。

いつまでもいつまでもなかったことや。

 *

でも、何だか今。
お家に居る感じがあって。

1人に戻るのは嫌だな。
無理だなって思うのです。

 *

今日どうだった?
楽しかった?

みたいなこととか。

そういうのこんなに楽しいんだ。
と思うのです。

こういうのを続けたい。
ああ、だからみんな家族が欲しいなって思えるんだなと。

「1人じゃさみしいじゃん?」というのは、
そういうことだったのか…。

「だって、何人居たってさみしくない?」
というわたしの疑問は、

「さみしくない」を
(それってどう言い換えたら良いのか難しいけれど)

知らなかったからなんだな…
と思うのでした。


ストーン・コンシェルジュ & 作家 みたけさやか

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