2013/09/08

わたしの価値?
























自分には
生きる価値がないのではないか?

自分には
存在の価値がないのではないか?

自分には女としての、仕事人としての、生活者としての、
価値がないのではないか?

判りようのない疑問です。

 *

でも思います。

その価値だけは、

外側の条件によって
生まれるものじゃないということ。

 *

でも。

わたしも無意識に、

自分自身に価値がないと、
思っていたのです。

 *

病気をして薬を飲んで、

薬は奇形児をつくるものだったので、
わたしは妊娠が難しくなったと感じました。

病気自体も遺伝性であるという説があり、

遺伝して?
同じ思いをする子どもが生まれたとしたら?

耐えられないという気持ちがやってきました。

 *

薬の一時中断によって妊娠が可能であること、

ただし普通の人でさえストレスのかかる育児は
リスキーではあり、

家族やパートナーとの協力体制が
病気のない人よりも必要であることは

主治医から言われていました。

ちょっと待って!
パートナーも居ないのに考えても!

と、思いました。

 *

28、29の頃は、

細胞が叫んでいるように感じる程、
子どもが欲しかった。

今はやはりちょっと違います。
身体はそれを強く欲求しなくなって来ています。

でも、
心の何処かで

もしこの人とパートナーになったとしたら?
と思う瞬間に、

子どものことは常に頭を過ります。

子ども達と幸せそうに遊んでいる男性に
心が動くのです。

ああ、この人は子どもの居る未来を持って欲しい。

相手を大切に思えば思う程、
その気持ちが出て来ます。

今、わたしが、
見た目で言ってもらえるように

あと10歳、若かったら?

そういう非現実的な気持ちが
やってくることもある位です。

 *

しかもわたしは
生活能力がかなり低いです。

仕事に没頭してしまうと、
食事も摂り忘れます。

お腹が空いているのに気がつけないことが多いのです。

自分が猛烈に働いていたので、
男の子達の気持ちも解ります。

そうなれたらどれだけ良かったか!

でもわたしは、
わたしにもやりたいことがあって。

それをやらないことは、
自分を殺しているようなものだと…

感じてしまう。

彼らの望んでいるものになれなかった自分に、
やっぱりどこかNO を言ってしまうのです。

 *

クリスタルが選べたって、
だから何なの?

おいしい食事の方が何百倍も良くない?

そう思うこともあります。

 *

20代で
精神的自立が難しい時期に

おつき合いした男性との関係性は、

わたしの中では、
辛い思い出になってしまいました。

病気のショックで心が弱り切って
自分のことだけで精一杯の時期に、

自分の中で
最高にいけていない自分を好きになってくれる人と

おつき合いするのだけは、
もう止めたいと思いました。

でも回復には6年が必要で
元気になって来たらわたしはもう40代だったのです。

 *

ああ、わたしは、ダメなのだ。

出来ることは全部やった。
がんばった。

諦めなかった。
精一杯やった。

それでも。

時間は一方通行で、
女性としての価値がなくなっていく。

どこかでそう感じてしまう自分がいるのです。

 *

20代の女の子が
「もうわたしなんてダメだ!」と言うのを聴いて

30手前の男の子が
「40歳になってる訳でもないのに、まだ大丈夫だよ!」

と、言っているのを聴いて、
しっかり傷ついたりしている自分も居たりします(笑)。

 *

ぬぐえない。

わたしには価値がないのではないか?
という疑問に対する、

「そんなことはない」という、

外側の言葉を素直に受け入れられない自分が
居続けるのです。

だって、あなたは、わたしと
一緒にやっていこうと思わないでしょう?

その想いが強く根底にあって、
それを実現してしまうのかも知れません。

 *

でも。

 *

昨日夜中に目が覚めて気がついたのです。

「ああ、わたしは自分に価値がないと。
こんなに強く感じていたのか…」ということに。

そうだったのか。

そんなにわたしは、
自分に価値がないと、

価値がないと感じるところばかりをじっと見て、
見続けて、

ダメだ、ダメだ、ダメだ!と
まだ言っていたのか。

と。

泣きました。

 *

「本当そう?」

 *

わたしは想いを感じ切った後は
必ずそう自分に問い直します。

「本当にそう?」
「そうなの?」

答えは、即座にやって来ました。

 *

「違う。

こんなにがんばってきて、
こんなに努力を積み上げて、

こうしてやって来た自分を
価値がないなんて思うことの方が、

どこか間違ってる!

そんなのいくらなんでも可哀想じゃないか。

わたしが、わたしを、認めてあげる。
わたしには価値がある。

それは理由を必要としないことだと思う。

ただ、わたしがわたしに、
認めてあげればいいだけのこと」

でした。

 *

わたしは、
理由なんていらない気がしています。

何故なら、
わたしが人を愛する時に、

そこには大きな理由などないからです。

 *

そこにその人がいて、

笑ったり泣いたり、怒ったり悲しんだり。
がんばったり、怠けたり。

誤解したりされたり、傷ついたり、癒されたり。
愛したり愛されたり。

ただもうそれが豊かで豊かで、
愛おしい。

美しくて価値がある。

みんな価値がある。

だとしたらわたしにだって価値はあるよ。
理由はない。

それでいい。

わたしが認めてあげよう。

大丈夫、わたしには価値がある。
何故なら、価値のないものなんて、どこにもないから。

価値を肯定したり否定したりすることはあるけれど、
存在は、それそのものが価値だから。

在るということは、もはや価値の対象なのだから。

 *

不可能と思えることは、
人の手を借りたら実現出来ることも在ります。

1人で抱え込まないで、

自分をどうやったら
その居心地の悪さから救い上げられるか。

考えて、勇気を出して、
今出来る助けを求めればいい。

言葉が上手く伝わらなくても、
大丈夫です。

実は本当に困っていたら、人には解ります。

必要なのは心なのかも知れません。

英語も出来ないのに1人で海外に行って、
迷子になったら絶対に誰かが声をかけてくれます。

あの、感じ。

出来ないことを晒すしかない、あの、感じ。
サポートを呼び込む、あの、感じ。

そして感謝と共に、
必ず目的地に着くのです。

 *

でも、そのためには、

やっぱり自分の気持ちをちゃんと
真正面から抱きしめてあげることなのだと思います。

感情がやってきたら、
その声を聴いて、それを抱きしめて。感じ切って。

そうしたら、後は、
その静かな心を持って、行動を起こすだけです。

自分のために。

 *

こんなに。
1人で真夜中に泣く位。

わたしは…?

「どうしたい?」
「どうしたらいいと思う?」

 *

「価値がない」ということを
もう思わなくていいよ、

と自分に思います。

それで堂々としてたらいいよ、と思っています。

堂々として、

うれしい時に笑って、
悲しい時に泣いて、

誠実に、正直に、約束を守って、
自分が正しいなあと感じることを、

淡々とやろうと。

不誠実を感じる人からは離れて、
約束を守られなくても気にしないで、

わたしはやろう。
わたしの信頼のために。

みんなに優し過ぎると言われても、
それが小さい頃から変われなかったわたしだから。

怖いときついと言われても、
それもわたしだから。

それは相手からの見え方であって、
わたしの全てではないから。

エクスキューズしないで、

この人素敵だなと思ったら、
ただそう思っておこう。

大事だなあと思ったら、
ただそのまま大事しておこう。

わたしなんて?

もう歳だからとか、病気だからとか、
破綻してるからとか、

ダメな理由はあるかも知れなくても、
それはもうある程度仕方がないから。

今は今、出来ることを引き続きやって。

何か条件が変わった時に、
また「その時にある今」を、やればいい。

 *

わたしが
みんなに価値を感じるように、

わたしにも、価値がある。
それでフェアです。

それはシンプルな初期設定のような気がします。


BGM: 何度でも DREAM COME TRUE
ストーンコンシェルジュ & アクセサリー作家 みたけさやか

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