2012/07/03

島悟先生へ















島悟先生へ

先生、ありがとうございました。

先生には、

ご存命中に、
お礼とご報告へ伺いたかったです。

お礼がこんなにも遅くなってしまい、
本当にごめんなさい。

先生が命を終えられたことさえ、
今日知りました。

余りにもショックで、
何時間も泣きました。

先生と交わした言葉や情景が
何度も頭の中に甦りました。

ちゃんとお礼をしたかったので、
時間がかかっていたのです。



先立たれる先生方に
お礼が間に合わないという事は2度目です。

でも、先生。

わたしは今回、
後悔をしていません。

仕方がなかったと思えるからです。

なんの文脈もなく
ふいにその人が頭を過ぎるとき、

わたしは相手の思考として
それを認知することにしているのですが

(ファンタジーですね)、

その時も、
連絡はまだ無理だと判断したのは自分自身でした。

先生にだから、
中途半端なお礼はしたくありませんでした。



全力で、ですが。

初めてわたしなりにゆっくりと
自分の感覚を大切にしながら

4年をかけて、
リハビリをすることが出来ました。

その間に、
先生の命が燃え尽きてしまったことは、

仕方がなかったのだ…と思います。

仕方ないという言葉は、
なんて静かな言葉でしょうか。

どうしてこんなに色んなものを包み込める
言葉なのでしょうか。



先生ともう2度とお会いできないことは、
とても哀しいことですが、

泣きはらした後、

何か食べなくてはと
フライパンでチャーハンを炒める自分は、

なんて成長したのだろうかと思います。

こんなに心が締め付けられていても、

身体の声が聴こえている自分は、
どれだけゆとりを持てるようになったのだろうかと思いました。

泣きながら作ったチャーハンの味も、
淹れた紅茶の味も、

よく判らなかったのですが、

15時過ぎの窓辺の光は明るく澄んで透明であり、
大変美しい時間でした。

先生の死を悼むにふさわしい
美しさでした。



出会いとは
素晴らしいものですね。

思えば、

先生はわたしの心の声を拾い上げてくださった、
最初の人だったように思います。

先生は、

他の誰でもない、
「わたし」と向き合ってくださいました。

そして、

時には、
先生の意見を言ってくださいました。

反発もしましたが、
やはりちゃんと観ていてくださる方の意見は違うのですね。

先生が、わたしをちゃんと聴いて、
そして意見をくださっていたことはとてもよく判りました。

人生において、
先生との接点はとても短いものでしたが、

どれだけのことを、
わたしは先生から学んだことでしょう。

先生からいただいた、
最初で最後のお電話を、

わたしは忘れられそうにありません。

その節は、
本当にありがとうございました。



先生と、
先生のお父さまの絵を拝見して交わした会話。

先生がクリニックのロゴのアイデアを気に入ってくださったこと、
わたしのイラストを飾ってくださったこと。

静かな語調。
魂に触れる会話。

全て、当時のわたしには
大変得がたいものでした。

先生が居てくださったから、
わたしは2度も勇気が出せたのです。

これは本当のことです。

先生に対するそれは幻想だったかも知れません。

でもわたしは先生がいらっしゃったから、
勇気が振り絞れたのです。

新しい選択肢をとる事が出来たのです。



そして先生。

先生はわたしがこんなに幸せになると
想像されたでしょうか?

わたしは
あの頃始めたアクセサリーを作り続けていて、

沢山のお友達やお客さまに支えていただきながら、
社会に戻ってきています。

モテオーラが出ていると言われたりもするようになりました。
驚くべきことではないでしょうか!



先生にお礼が言いたかったのです。

きっと先生は、

そのお礼の意味を
ちゃんと受け取ってくださるのではないかと、

そんなことを思っていたのかも知れません。



わたしは先生の考え方が
とてもとても本質的であると感じていました。

先生と共有させていただいた時間は、
確かな光を放ってわたしの心に刻まれています。



「いつか先生と本を出したいです」とお話した際に、
「ありがとう」と返してくださった先生。

ありがとうの意味は一生謎のままででしょうか。

インスピレーションのように、
それを理解する瞬間が来るでしょうか。

その瞬間瞬間を、
向き合ってくださったことに、

感謝したいと思います。

いつか先生から学んだ事を
本にしたいと思います。



先生のご配慮の先に、
わたしは初めて理解者を得ました。

これを人は運命と呼ぶのではないだろうか?
と思えます。

心の通じる相手が存在しているというのは、
なんて幸せなことでしょうか。

存在があること。
それは本当に驚くべき事実だと思います。

接点が遠く、
生活に関わらなくても、

そこで積み重ねた時間とそのやり取りが、
奇跡のようにわたしを守っています。



わたしが存じ上げているのは、

先生のある側面の、
ほんのひとかけらです。

それなのに、
こんなに涙が出る。

人との関わり深さは、
時間ではなく密度なのかも知れませんね。

先生の言葉が頭の中で繰り返されることがあります。

それはきっと、

それが
魂に届く言葉だったからだと思います。

先生から教わったことは、
計り知れません。



わたしには、

先生のように
人生に大きな教えを残してくださった

何人かの素晴らしい先輩方がいます。

一瞬にして謙虚さの大切さを
一流とはどういうことかを教えてくださった方、

礼を欠かさぬ大切さを
人生を通して教えてくださった方、

気にかけていただくことのありがたみを
教えてくださった方、

失ってからその方々の偉大さを知るなんて、
なんて理解の遅いことだろうかと思います。

先生には、
間に合うと思っていました。

でも間に合わなかった。

なんとも言えない気持ちでいます。

でも。
仕方なかったですね。

そう思います。

だけど。

先生に、

あと一度だけ、
お会いしたかったです。

会って、お礼を言いたかったです。



本当に本当にありがとうございました。

ご冥福を心からお祈りいたします。


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