2011/12/06

2匹が帰ってきた
















2007年の春まで、
フェレットを飼っていました。

子育てのような気持ちでした。

 *

2007年の春に、
長男だった将太が亡くなりました。

2006年に、
次男のずん太が亡くなった時は、

すぐに大きな声で泣き喚いて
感情を放出できたのですが、

将太の時は、
余りにもショックだったので、

殆ど泣くことが出来ませんでした。

危うかったです。

 *

将太もずん太も、病気持ちでした。

将ちゃんは、

前の飼い主さんが
小さな将太の足をケージに挟んでしまったらしく、

出会った時は、びっこをひいていました。

その、
前の飼い主さんが、

他の子と替えてくれと言ってきたので、
ペットショップが引き取って、

前の飼い主さんには
新しい子をお渡ししたのだと聞きました。

 *

わたしは動物を飼うのが初めてだったのですが、

将太には余りにも心を惹かれて、
この子を連れて帰りたいですとお話し、

ただでいいです。
その代わり可愛がってあげてくださいと言われて、

ただでもらって帰ってきました。

 *

まだちいちゃかった将ちゃんは、
ガブガブ噛む子で、

こっちは流血しながら
やっては困ることを教えたりと、

ある意味手がかかりました(笑)。

フェレットは元々肉食の子達なので、
歯も鋭いし、

最初の頃は、
噛まれるのが本当に怖くて、

足首にタオルをぐるぐる巻いて
ガードしてから遊んでいましたから、

なんか、
今思うと必死過ぎて滑稽です(笑)。

 *

最後まで、

わたし以外の人に抱っこされると
噛む子だったので、

最初の飼い主さんのところで受けた
ショックが大きかったのかなあ…と思っていました。

 *

ずんちゃんは、
将太の遊び相手をと思って飼い始めました。

この子は、
ずっと売れ残っていて、

プレーリードッグさんが
木屑をばばば~っと掻き揚げる

粉粉の中で暮らしていたところを
ショップの方が引き取ってきたという経歴を持っていました。

おっとりしてみえたし、
しばらく同じお試しケージの中で遊ばせても

仲良く見えたため、
連れて帰ることにしました。

 *

ずっと咳が止まらなくて、
お医者さまに連れて行ったところ、

心疾患があることが判明し、
毎日薬を飲ませていました。

 *

ずんちゃんは、

お薬を飲み始めたら俄然元気になり、
結構乱暴ものである事が判明しました(笑)。

同じサウスランドニュージーの子だったのですが、
2匹の性格の差が本当に面白かったです。

湖に連れて行くと、

将ちゃんは怖がって
腕の中で震えるのですが、

ずんちゃんは、
水に突進していくので慌てて止めに入る感じでした(笑)。

面白かった。
本当に可愛かったです。

 *

ずんちゃんは、末期、
酸素テントで寝起きをしていました。

わたしは仕事も手につかず、
毎日看病をしていました。

それまでは、
ペットのために会社を辞めてしまう話などを聴くと、

何でなんだろう?と思っていましたが、

実際我がことになってみて初めて、
ああ、手がつかないものなんだな…と実感しました。

 *

看病と言っても、

いつもと変わらず毎朝毎晩のケージの掃除に、
ご飯をあげるだけなのですが、

他のことが一切出来なかったという記憶です。

毎日将ちゃんと遊ぶこと、
2匹のケージのお掃除と看病。

それだけで余裕がなかったのですから、
不思議だなと思います。

 *

その日の朝、

わたしは何かが限界で、

ずんちゃんのケージを
お掃除できませんでした。

 *

その日の晩、

ずんちゃんは酸素テントになっていたケージから
何ヶ月ぶりかに外に出てきて、

爆発的な勢いで、

大好きだったベッドの下にもぐったり、
ソファの下に隠れたりして、

そして、
当然のように、

息を引き取りました。

 *

わたしはその日、
本当に限界だったし、

何度その日を迎えても、
多分掃除は出来ないと思います。

だから、後悔はありません。

ずんちゃんは、
あんまりにも優しかった。

わたしはずんちゃんが出てくるのを
止められませんでした。

くたっとなった
ずんちゃんを抱きながら、

ずんちゃん!ずんちゃん!と叫ぶようにして
沢山泣きました。

 *

その後わたしは、
葉山に引っ越しをしました。

大きなお家の中で、

将ちゃんをなるべくケージに閉じ込めないで
遊ばせるようにしました。

小さなケージに、
殆どの時間閉じ込めてしまう生活に、

わたしはすごく疑問を抱いていて、

それでも、
彼らを放っておくと

お部屋がぐちゃぐちゃになるということが怖くて、
長いことケージに閉じ込めていたのです。

 *

結論から言うと、

将ちゃんは、
がんにかかっていました。

わたしは、
ぎりぎりまで気がつきませんでした。

そして、

痛みに耐えている
将ちゃんの逆立った毛を見て、

発情期でも来たのかな?というような
見当はずれな事を思っていたくらいです。

更には、
わたし自身に全く余裕がなくて、

将ちゃんの毛玉ケアを怠り、
2度も腸閉塞の開腹手術を受けさせてしまいました。

あの頃何故か、

2匹の大好物だった
マンゴーを

将ちゃんに
食べさせてあげられなかったのです。

マンゴーは、
腸のお掃除に大事だったというのに!

 *

将ちゃんは

モルヒネ注射を受けても消えない
激痛の中、

わたしに抱かれて星になりました。

病院の方にお礼を言って、

その足で
まだ温かい亡骸を持って友達に会いに行き、

その人の前でだけ
2時間位泣きました。

 *

でも、その後、泣けませんでした。

ケージを翌日には処分し、
未開封のフードを病院に引き取ってもらい、

亡骸はずんちゃんと同じ山に埋めに行き、

でもわたしは、
将ちゃんを送り出せませんでした。

いなくなってしまったことを
受け入れるのが、

ずんちゃんの時の、
何十倍も難しかったです。

 *











左が、ずんちゃんで。
右が、将ちゃん。

2匹が、昨日初めて、

夢に
出てきました。

 *

ずんちゃんは、
眠っていたと思ったら、

その後
消えてしまいましたが、

将ちゃんは、
1回逃げて

興奮して全身の毛を爆発させながら

最高にうれしそうに
ぴょんぴょんと走り回った後、

「将ちゃんこっち来て!」
と呼んだら

真っ直ぐ走ってきました。

あんまりにも
真っ直ぐ走ってきたので、

わたしは噛まれちゃうのが怖いと
ちょっと後ずさりして、

それから意を決してしゃがみ、
「将ちゃん」と呼びかけると、

将ちゃんは、
両前足をわたしの膝にのせて来ました。

両目には、
愛情と信頼が宿っているかのようでした。

何かが通い合いました。

 *

次のシーンでは、
将ちゃんが立ってお祈りをしていて、

そこは病院でした。

将ちゃんは、
この後手術を受けるようでした。

 *

銀色のパッドの中で

両手を組んでお祈りをしている
将ちゃんに、

大丈夫だよ、と声をかけたら、
将ちゃんはにっこり微笑んでいました。

 *

目が覚めました。

 *

今年になって、

将太にそっくりな
フェレットの肖像画を手に入れました。

将太は戻ってきてくれました。

ずんちゃんも戻ってきて欲しくて、

お人形制作を
お願いしたのですが、

そのお人形は、
ずんちゃんではありませんでした。

一体お願いしたはずのお人形は、

1匹と
ちっちゃい子2匹の

3匹セットになって我が家へやってきました。

 *

3匹のお人形の中に
ずんちゃんがいなかったことについて、

わたしは普段
あまりそういう考え方をしないのですが、

ずんちゃんは、
きっと命の輪廻を終えたんだなあ…と、

思いました。

ずんちゃんとは
終わったんだなと。

寂しかったけれど、
納得がいきました。

ずんちゃんは、
人のために命を使える子だったから。

 *

しかし
将ちゃんに対しては、

本当に本当に
申し訳ないことをしてしまっていたので、

今でもごめんね、ごめんね、と思うのです。

どうしてお母さんは、
あなたが痛みに耐えていることに

気がついてあげられなかったんだろう。

どうしてあんな小さな身体に2度も
防げる手術を受けさせてしまったのだろう。

ケージのお掃除をさぼったり、

遠方に引っ越して
独りぼっちにさせる時間を長くしたり、

してしまったのだろう。

 *

将ちゃんが死を向かえる前日、
お風呂に入っていたら

わたしのお腹にも鋭い痛みが走りました。

将ちゃんの激痛が
飛び火してきたような痛みでした。

あれから、時々、

身体が思い出すかのように
痛みを発します。

 *

今朝、
目が覚めた時、

わたしのお腹には
引き吊れるような痛みがありました。

将太のことがあってから、

何度病院に行っても原因の見つからなかった
痛みが、

輪郭を持って現れてきた感じです。
病院に行かないとね。

とりあえず温めて、

姫川薬石をポケットに入れて凌ごうかな(笑)
と思います。

 *

2匹とも、
子供だったんです。

わたしにとっては。

2匹とも、
病気になっても最後まで、

毛がふさふさの、ふわふわでした。

わたしが、

ふわふわの毛が大好きなのを
知っていてくれたのかも知れません。


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