2011/07/29

言うか言わないか
















言うか言わないか。

結構悩むところだなあ…と思います。

 *

時々思います。

今、目の前にいる人に対して、
「自分の考えを言わないこと」には何の意味があるだろう?

ということを。

本当はこうだと思っているのに、
黙って沈黙することの意味は何だろうなあ…と?

 *

お互いに
素性を判らないままでいるよりも

言ってみて、例え最悪!でも、

お互いを知り合えた方が、
いいのではないかなあ…ということ。

それは、

もしかしたら、

最高!という反応にもなりうるなあ、
と思ったりもします。

 *

日本人は
共感力がとても高い民族性なので、

その前提で言うのですが、

「わたしは、~思います」
「わたしは~についてこう感じます」

という表現を
もっと大事にしてもいいような気がするのです。

それは相手の考えを
否定することでは決してありません。

自分を正しいと主張することでも、ありません。


わたしはこう思う、感じる、ということでしかない。


それは生きる上で
とっても大切な感覚なのではないかなあ…と

思えてならないのです。

 *

主体を持つということは、
責任の所在も明らかにしますし、

責任の転嫁先がないという意味で、

それはそれなりに
シビアなことでもあるのですが(笑)、

でも。

生きている手ごたえや実感は、
多分強まると思うのですよね。

 *

最近、

「他者である意味」
ということを考えます。

わたしには違ったな、
わたしはこう思うな、

という、

主体の違いを
表現してもらうことで

豊かになる部分って実はいっぱいあります。

違う経験から観ても同じこともあれば、

違う経験から観ると、
全く違う状況として見えることもある。

相手を思いやって
黙っていることも時に美徳だと思いつつ、

一方で

大切に思うからこそ、
自分の本当に思うことを

愛情を持って
率直に伝えることもしたい、

と思うようにもなりました。

 *

自分が相手に対して感じている距離と、
相手が自分に対して感じているだろう距離は

わたしの場合
違うことが多いので、

(すぐ親しく思ってしまいがち・笑)
さじ加減が難しいですが。

それでも、
自分として相手のことを考えているならば、

黙っているよりも、
ただ聴くよりも、

伝えた方がいいのかなあ…と
思えることが増えてきました。

 *

「ただ聴く」ということは、
それはそれで本当に特別なことなのですが、

生活の中でそれに徹してしまうと、
やっぱり「自分」が消えてしまうのですよね。

多くの時間を聴き手として暮らしていた
時代があるのですが、

それは生活者としての
生きた自分のポジションを見失うことでした。

聴く人のわたしを、
わたしだと思っていた人達は、

発言するわたしを許容出来ない
という場面もあったりしました。

仕事では聴かせていただきますし、
それは本当にありがたいことだと思っているのですが、

友達には聴くだけじゃなくて、言うように。

あなたはそうなのね、ということに終始せず、
わたしはこうだよ、ということも差し出す。

そうした方が、
健康的だなあと思うようになりました。

 *

言われて、
言われたことを聴くか聴かないかは相手の自由です。

それはあくまで自分からの見え方なので、
押し付ける気は毛頭ありません(笑)。

ただ伝えることによって、

そんな見え方もあるんだ!
ということを知って、

物事への対処が変わることもありますし、

同じ出来事への対処の違いから、

生まれ出る結果の違いを
比較検討することも出来たりします。

それは、

他者の存在している意味
そのものなんじゃないかなあ…

と思えてきたのですよね。

 *

自分自身に
強烈な体験があったりすると、

ついつい人に対しても
「絶対こうした方がいいよ」なんて言いたくなるのですが

(そして言ってしまって反省することもあるのですが)、

おススメしたいな、
わたしの時はこうでしたよ、

みたいに言う分には
全く問題ないのだと思ったりして(笑)。

 *

もちろん

「自分にとっての誰が」
その言葉を言ったのかによって、

意図を受け取れたり、
受け取れなかったりはしますから、

自分が嫌われるリスクを負ってでも
大切に思う人

にだけ、言います。

 *

あと、
これは若い頃から思っているのですが、

お互い思うことを言ってみてからが
本当の調整なのではないかなあ…というのがあります。

言いたいことをお互いに言って、
平行線で終わるのではなくて、

言いたいことを言った上で、

その両方の存在価値を認めた上で
する調整が、

本物の調整なんじゃないかな、
と思ったりしています。

違う意見を言われたら、

それで合いませんね、
と終わりになる事があると、

わたしは内心驚いているのです。

ああ、成程、そう違うんですね、
じゃあ、どうしましょうねえ?

というのが
本来交渉であり調整なのではないかなあ…と思ってしまうので、

非常に不思議に感じます。

 *

親子でさえ違うのですから、
血を同じくする姉妹でさえ違うのですから、

生活も、教育も、環境も違った人では
もっと違う

と想定した方が自然かなと(笑)。

何が違っているのかを知ることも、
意見を出し合って新しいものを生み出すことも、

本当は大事なことのように思えてなりません。

 *

信頼しているからこそ、
本当に思っていることを言いたいと思います。

相手の悪いところ(?)を

決め付けたり
指摘するわけじゃない。

自分が相手への愛情ゆえに思うことを
伝えるだけです。

 *

その想いを彩る言葉が
色々変わるので、

それが相手にとって
不愉快なこともあるでしょう。

 *

でも、中身はいつも殆ど一緒です。

本当に思っていることは、

「あなたが大事ですよ」

ということなんですよね。

 *

だから、本音で向き合うね、ということなんですよね。


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